「そこに人生のドラマがあるから」創業40年、町のお鮨屋さんを若者が必要とする理由・清しげ【神奈川県川崎市】

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店を続ける理由は、お孫さんに「続けて」と言われるからと語る店主の金子さん

住宅街や商店街でよく見かける昔ながらのお鮨屋さん、いわゆる“町鮨”が、子育て世代を中心とした若者の間で密かなブームとなっている。川崎市幸区、新川崎駅から徒歩10分程の商店街、谷戸福栄会に店を構える「清しげ」も昔ながらの店構えやこだわりをそのままに、新たな客層を獲得している町鮨の一つだ。若者が鮨を食べようと思った時に、回転寿司ではなく、町鮨をあえて選ぶ背景には、レトロブームだけでは片づけることができない深い理由がありそうだ。50年の職人歴に裏打ちされた鮨の美味しさ、築き上げてきた文化が若者にどのように受け止められているのか、その理由を探った。

「若いお客さん、増えてるね」企業団地近くの町鮨に訪れた変化

今回、インタビューに応じてくれた「清しげ」の大将、金子清さん(72)が店を構えるのは、川崎市幸区の北加瀬(きたかせ)エリア。高度経済成長期からバブル期にかけて、鉄鋼メーカーや電機メーカーの大規模製造拠点が置かれたことにより発達した地域だ。

「清しげ」がこの地に店を構えたのは40年前のこと。創業当初と今の客層の変化について、金子さんは「明らかに変わったね。昔は企業のお客さんが多かったけど、最近は家族連れの若いお客さんが来てくれるようになった。俺、コンピューターのことは、全然分かんないけど、インターネットの影響も大きいんだろうね」と語る。

確かに、各種レビューサイトを見ると好評の声が並んでいる。「小さなお店ですが、お寿司が美味しいです。大将とママさんが、とてもやさしいです」「子連れでしたが小上がりがあるので安心して食事できました」(Googleレビューより)と、子育て世代からも支持を得ている様子。安心して入れる店の雰囲気、大将と女将さんの温かい人柄が人気の秘訣であることは間違いなさそうだ。

光り物で勝負する気概、釣ってきた魚をその場でおろす包丁さばきが幅広い世代を魅了

とはいえ、雰囲気が良いだけで常連客を獲得できるほど、飲食の世界は甘くはない。「清しげ」の鮨や小料理の美味さとその人気は、大将の確かな技術と経験に裏打ちされている。大将が魚を下ろすようになったのは学生時代、学校の近くの鮨屋でアルバイトを始めた頃から。鮨職人としてのキャリアは、実に50年以上になる。

常連客で賑わう昼のカウンター、筆者もビールを飲みながら絶品の江戸前鮨を堪能する

大将が得意としているのは、コハダやサバ、アジに代表される光り物。「光り物は『漬け方』が命。酢じゃなくて塩でシメるの。例えば、脂身の少ない魚は塩を少なめに、脂身の多い魚は塩を多めにって具合に、素材に合ったシメ方がある。シメ方が上手くハマれば、ほんのり甘く、生の状態と変わらないような味わいになる。保存食なのに不思議だよな。でも、その塩を使ったシメ方を誰かに教えるのは難しい。結局、感覚。昔修行したときの感覚で今もやってる」と、自信を滲ませる。

また、釣ってきた魚をその場でおろす包丁さばきも自慢だ。「お客さんが釣ってきた魚はその場で下ろしちゃうよ。さばけないって言ったらお客さんにも食材にも悪いからさ。一番いい状態のものを食べてもらいたいし、ほら、なんてったって魚バラすのって楽しいじゃない?」と語る金子さんの笑顔には、気負った様子が微塵もない。

今も昔も、誰かの人生の節目を飾り続ける鮨。七五三に結婚式、そして最後の晩餐まで

鮨には保存食としての起源があり、鮨とその文化、職人芸は日本が誇る伝統である。そして、戦後、日本が高度経済成長期を迎える中で鮨が「ハレの日のご馳走」として人生の節目を彩ってきたことを、私たちは原体験として覚えている。

「清しげ」も例に漏れず、地域の人々の暮らしに自然体で寄り添ってきた。金子さんは、「近くに神社があってね。そこで(お客さんが)七五三やるの。そして、終わった後はうちに鮨を食べに来る。凄い時なんて、お客さんに結婚式の仲人をお願いされたこともあったよ。会社の人も、近所の人も、一緒に祝った。気持ちのいい結婚式だった。お客さんと一緒に、人生のドラマを体験できるってのは鮨屋やってて良かったことだよね。冠婚葬祭には必ず鮨屋が絡んだもん。町場にお鮨屋さんがある理由って、そういうところにあるんじゃないかな」と、思い出を語る。

人々の人生の節目・冠婚葬祭と町のお鮨屋さんの関わりについて語る金子さん

町のお鮨屋さんが冠婚葬祭に絡む象徴的なエピソードがある。今月に入って、「清しげ」の常連であった近所に住む97歳の男性が病床に伏せながら「『清しげ』の穴子が食べたい」と言うことがあった。女将さんが、その連絡を聞き、家まで穴子を持っていくと男性はその穴子を「美味い」と言って食べ、「また明日食べるからとっておいてくれ」と眠りについた。そして、男性はそのまま息を引き取った。この穴子は、男性にとって、文字通りの最後の晩餐になった。

金子さんは、「人生の最期に鮨で花を添えられたって凄いことだよなって思う。しかも、その後(葬儀の場で)、家族・親族が皆で『清しげ』の寿司を食べてくれてんだから。それは本当に嬉しかった。死ぬ間際に食べたいものを食べる、それがいい人生なんじゃないか」と、振り返った。

消えゆく「お鮨屋さんがある町」。町鮨が紡いできた文化を必要とする若者

このように、地域で暮らす人々の人生に欠かせない存在だった町鮨もひと昔前に比べると、大分少なくなったという。「一軒減って、また一軒減って、うちはその中で、ぽつんと残っちゃったね。ただ、魚をさばいて、鮨握って、お客さんに喜んでもらうのが楽しくて続けてきただけで、何かを残そうってわけじゃなかったんだけど、(結果として)続いちゃったね」と語る金子さんの表情は少し寂しげだ。

店舗前にて。通りすがりの若者がぶらりと訪れて、常連になるケースも増えているという

一方、清しげが大切にしてきた町鮨のあり方や、価値に共感する若者も確実に増えているという。

若いお客さんが増えている理由について改めて尋ねると、「今、ケジメっていうか、人生の節目を祝う文化ってなくなっちゃってるよね。もしかすると、そういう文化がなくなるのを寂しいと思ってくれてる人がいるのかな。それを味わいたくて、うちに来てくれるお客さんはいるかもしれない。それと、インターネットの力も大きいかな。俺は何もわからないけど(笑)」と金子さん。

「30年前、日本がまだ経済的に勢いがあった頃、あの頃の子ども達が大きくなって、うちに自分のこどもを連れて来てくれるのは嬉しいよね。うちら夫婦は親戚のおじちゃん・おばちゃんみたいになっちゃってさ。母ちゃんなんて『寿司婆(すしばあ)』なんて呼ばれて、わざわざ寿司婆に会いにくるお客さんもいるくらいだよ」と嬉しそうに続けた。

町の小さなお鮨屋さんが紡いできた文化は、今を生きる若者にも必要とされているようだ。あなたの町の小さなお鮨屋さんでも、その地域ならではの人生のドラマが語り継がれているかもしれない。

店舗情報

【清しげ

所在地:川崎市幸区北加瀬2-10-20
電話番号:044-588-7436
最寄駅:JR横須賀線 新川崎(バス「谷戸」)

畠山智行

畠山智行

神奈川県横浜市

副編集長

ローカリティ!エヴァンジェリスト
ふるさと:
宮城県仙台市(出身地) 
秋田県湯沢市(自分で選んで移住した土地その1) 
神奈川県横浜市(自分で選んで移住した土地その2)

何気ない日常がどんなに尊く、感動に満ちているか、そのことに読者の皆さんが気付けるメディアに成長させていきたいと思います!

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