【対談企画】「灯す」は「生きる」を見つめ直す。「ともしびプロジェクト」代表・杉浦恵一さん×ローカリティ!編集長・中野宏一

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ともしびプロジェクトは東日本大震災をきっかけに「わすれないを形に」を合言葉に、毎月11日を「ともしびの日」としてキャンドルを灯し、SNSに投稿するプロジェクトとして2011年の11月11日から始まり、今年で13年目を迎えました。

2021年から「毎年3月11日に青いキャンドルを灯そう」という思いから「3.11 BLUE CANDLE NIGHT」というプロジェクトを始動しました。近年は青いロウソクを無料で配っており、キャンドル工房を開放し誰でも自由に来て灯せるような形になっています。

ともしびプロジェクト代表の杉浦 恵一さんは、震災ボランティアを行いながら、2011年に活動をスタート。現在は宮城県気仙沼市にキャンドル工房を立ち上げ、運営をしながら「灯す」活動を続けています。

一方、ローカリティ!編集長の中野宏一は、運営会社の合同会社イーストタイムズを震災報道と地域報道を行う独立系報道機関として2015年仙台で立ち上げました。東日本大震災から13年。ともに震災後の被災地の人々を追い続けてきた二人が、2024年3月11日、気仙沼市のキャンドル工房で対談した様子をお伝えします。

「お金は本当に必要?」実験をするために無一文の旅へ

(中野)杉浦さん、ご出身はどちらですか?

(杉浦)もともと、熊本県生まれ、愛知県育ちです。

(中野)では、気仙沼にきたきっかけは何だったのですか?

(杉浦)無一文で旅をしていた時があって、半年間いろんなところを旅していました。愛知県を出発し、ヒッチハイクで全国的にお世話になりながら、北海道まで行って日本海側から愛知まで帰る。その結果、(無一文で旅先で)半年くらい暮らせてしまったんです。(その後)愛知県に戻ってきたタイミングで、今度は関西に行こうと思っていたら東日本大震災が起こったんです。

福島で震災ボランティアとして活動開始

(杉浦)東北を旅していた時に滞在先の人々にお世話になりました。(当時の自分は)元気で、暇で、ボランティアをするためのいろんな条件が全部そろっていますよね。震災発生から1週間後に、物資を持っていきました。最初は福島のいわき市四倉(よつくら)という場所で、(いわき市役所の)四倉支所に避難されていたみなさんと一緒に物資の仕分けをしたり、避難所に運んだりというのが一番最初の始まりですね。

その後、旅の途中で出会った人たちが「気仙沼に知り合いがいるから行ってみて」ということで、宮城県の気仙沼に行きました。気仙沼に行ってみたら、被災したワインバーがあって、そこのオーナーが「住んでいいよ」と言ってくれて、ワインバーのバックヤードみたいなところに住みはじめました。

(中野)ボランティアもやっていたのですか。

(杉浦)そうですね。もうなんでもできることがあればやるスタイルでした。まさかあれから13年間も住むことになるとは思っていませんでしたが。ほんとに長くいたなと思います。

思いはあるけど表現する方法がない

(中野)ともしびプロジェクトを始めたのはいつですか。

(杉浦)2011年の夏頃から、ともしびプロジェクトを始めました。そもそも2011年夏頃、仮設住宅が建ち始めた時に、何かできることはないかと思っていろんな人に「次は何が心配か」「何が今不安か」をヒアリングする機会がありました。

それを何箇所かの仮設住宅でやった時に、「忘れないでほしい」という声を何回か聞いたんです。何のことを言っているかわからないけど、大事そうな気がすると思ったことがあったんです。

被災地以外では、「何をしていいかもわからない」「募金もどこで使われているかわからない」という声が、2011年の夏くらいにニュースになったりして、「何をしていいかもわからない」人たちが増えていた時期でした。

「思いがあるけど表現する方法がない」ということを聞いて、キャンドルを灯して、SNSに投稿するというプロジェクトによって、その思いを表現して、それを見ることで、「忘れないが、カタチになるのではないか」と思ったのがいちばん最初のきっかけです。

(中野)その時、広がりは結構大きかったのですか。

(杉浦)Facebookから始めましたが、海外からも参加してくれたり、いろんな思いを寄せてくれる人がいたことで「もっとできるんじゃないか?」と思い、すぐキャンドルを作り始めました。

(中野)キャンドル作りはその後始められたのですか。

(杉浦)実はここの工房の前に2箇所あって、仮設商店街の2階の倉庫を借りていました。ああでもない、こうでもないといいながら。キャンドル作ったことないですし、誰もそういう人がいなかったので。

これは僕らよりも宗教的かもしれないと、お坊さんが言った

(中野)火を見ながら思いをはせることは重要だと以前おっしゃっていましたが、それはどういう意味ですか。

(杉浦)「灯す」という活動を続けるなかで、ある日、お坊さんと会う機会がありました。その方は内陸の出身なんですが、たまたま震災の日、釜石にいて被災して、津波に飲まれたけど、トラックの上に飛び乗って助かったという方です。

そのお坊さんがともしびプロジェクトを見て、「これは、もしかしたら僕らよりも宗教的なのかもしれない」と言い始めたんですよ。

既存の宗教は形式になっているじゃないですか。すごいことですけど。お焼香もこうやるもんだと思って並ぶからみんなやる感じがある。

ともしびプロジェクトには、そういう伝統や形式はないけど、みんな思いを持って「灯す」ことをやりにきている人たちが、ずっといました。

なので、思いのところでお坊さんと息が合うところがあって、そこでいろんな「灯す」ことについてお互いの考えを話しました。

誰かのためと思って灯しているのに、結局自分の内省になっている

(中野)「灯す」にはどういう意味があると、杉浦さんは思いますか。

(杉浦)僕も意味が分かっていて始めたわけじゃないので、やりながら自問自答し続けています。誰かのためにやっていると思って灯しているのですが、結局、自分の内省になっている。これってすごいボランティアと似ていると思いました。

(中野)どういうところがボランティアと似ているのでしょうか。

(杉浦)誰かのためと思って灯しているのに、結局自分の内省になっている部分があるところが、震災ボランティアと似ている。誰かのためにと思ってやってきているのに、自分が元気をもらっている。希望を与えられたり、自分のためになっている気がしてならない。

これはもうそのような仕組みなのかと。仏教用語にも言葉があるそうで、そういう話で盛り上がりました。そこから宗教者となんとなく関わりができて、宗教を超えてお祈りをするようになりました。

宗教を超える「灯す」という行為

(杉浦)「灯すを軸にすれば宗教を超えられるんじゃないか」という思いが起点となり、お坊さん、神父さんや牧師さんなど、宗教の垣根なくあらゆる枠を超えて灯す「命灯会」(みょうとうえ)という会が2017年から始まりました。

どの宗教も火を大事にしており、灯すを起点にひとつの表現として、宗教を超えてお祈りをしているという点が、一般の僕らにもメッセージがあるような気がしてならなかった。やってみたらなんとも、言葉にならない何かを感じました。

いちばん最初に僕が体験した「命灯会」は、真宗大谷派名古屋別院で、30人以上のお坊さんが宗派を超えて集まってそれぞれのお経をあげました。その会場に行かせてもらって、僕も灯して話をさせてもらいました。お経を全員でお唱えした時に「なんかあるぞ」と思ったんです。「灯す」ことは宗教を超えられるし、この場に何かがある気がした。

(中野)「灯す」という行為に宗教すら超えているなにかしらの普遍性があるんじゃないかと。

(杉浦)そうですね。そこは日本人がマッチしやすいんじゃないかと思いました。思い入れがないというわけではないのですが、日本人だと宗教を超えてお祈りしているのは素敵だね、いいね、という肯定的な感じになり、別の意見があんまりないじゃないですか。

(中野)特に日本人は多神教なのでけしからんと思う人が少ないですね。

(杉浦)他の国だと「何に対して祈るのか」とか「僕らは一つの神にしか祈れないから、何に対して祈るのかを教えてくれないと祈ることができない」と言われたこともあるので。そういう流れで日本人が「命灯会」をやるのは理にかなっているんじゃないかと思います。

僕ら生かされてる人たちがどうやって生きるかが一番の追悼になる

(中野)最初は東日本大震災の現状を「忘れないでほしい」という思いから始まったともしびプロジェクトですが、「当時を忘れない」ということから、徐々に変わった気がするのですが、どのように変化したのでしょうか。

(杉浦)割と早めに気がついたことでもあったのですが「何を忘れてほしくないんだろう」と思いました。もちろん震災の伝承という、実際にあったことを伝えることは必要だと思うのですが。

それは、「人間のもっている本来の思い」ではないかと。

明日が当たり前にくると思うじゃないですか。そこに対してありがたい、今をみんなで大事にしようって思うことなのではないでしょうか。

亡くなった人にとって、今は「生きたかった今日」だと思うんです。僕ら生かされてる人たちが、どうやって生きるかということが一番の追悼なんじゃないかと。

(中野)そこでより深く生きるということが私たち、そして自分が生きるということを考える瞬間や機会であると。

(杉浦)どう生きたいかという大きな枠の話は、ないがしろにされているわけではないけれど、スキルとか就職はどうするかとかの話が優先されてしまう。もっと気軽に話をしてもいいんじゃないかと思います。

生きるという側と、そうではない側で悩む若者たち

(中野)杉浦さんは「生きる」ということに対してとことん向き合っている、追求されていると感じます。ともしびプロジェクトもきっとそうですし、そもそも人はお金なしでどこまで旅ができるかということも「生きる」ということの問いのひとつだと思います。

近年、この3月11日周辺に気仙沼に10代後半〜20代前半の若い世代が集まって灯したり、思いをはせてくれたりという、人が集まってくる動きが起こっています。杉浦さんの元にも「居候ズ」と呼ばれる若者が全国各地から集まってきていますが、そこに何か、ひきつけられるものがあるからこそだと思います。なぜ若者たちが集まってくるのでしょうか。

(杉浦)さっきの「枠の大きい話」といっても、僕の中では普通の話をしていることだと思っています。今の世の中だと「就職活動のための」自己内省みたいな。そもそも仕事って人生の一部の話じゃないですか。だけど仕事の枠が大きくなりすぎて、細かいことにみんな捉われてしまい、悩んでいる人も多いのかもしれません。

(中野)気仙沼の杉浦さんのところだと、その話をする機会がある、機会というか場所だと。

(杉浦)そうですね。そもそも僕が話を聞いたりするスタンスのなかで、そっちの側からみてる。うまく表現できないけど。

(中野)生きると言う側と、そうでない側があるわけですね。細かいというか小さいというか。細かいことにみんなとらわれてしまう。

(杉浦)「就職活動のための」自己内省みたいな。そもそも仕事って人生の一部の話じゃないですか。だけど仕事の枠が大きくなりすぎている気がします。

若者たちに、火を分けているような感じ

(中野)杉浦さんのところには「居候ズ」と呼ばれる若者が、全国各地から集まってきますが、その人たちは一体何をしにやってくるのですか?

(杉浦)居候ズたちには、「いるならなんか手伝って」と声をかけて巻き込んでいきますね。僕らも助かるし、彼らも学びがあるみたいです。それが人が人を呼んでどんどん来ている状態です。年間で多い年は100人泊まりに来るので、これはもう空き家を改装してゲストハウスにしたほうがいいということで、ゲストハウスSLOW HOUSE @kesnnuma(スローハウスケセンヌマ)を作りました。

(中野)もしかして「灯す」という行為は、毎年3月11日だけとか毎月11日だけかもしれませんが、もしかすると若者にとっては、きっと杉浦さんのところに来て、卒業していくのは「灯して帰っていく」ような感じなのではないでしょうか。

(杉浦)なんとなく火を分けているような感じは、なくはないです。そういう人たちがどんどん集まってきています。

問いが生まれたら、消せない。だから答えに近い場所にひきつけられる

(中野)ちなみに来ている子はどんな感じですか。共通して何かに悩んでいたりするのでしょうか。

(杉浦)だいたい暇なんですよ。暇というか、さっきの「大きい枠の話」を考えたりすること自体しなくてもいい人もいるし、そういう問いが生まれない人もいる。そういう問いが生まれたら、恋みたいなもんで消そうと思っても消せない。だから問いが生まれちゃった人たちはなんとなく自分の答えに近い場所にひきつけられてくるのかもしれません。

(中野)そうですね。問いに火をつけてしまった人は消せない。見ないようにすることはできますが。

(杉浦)問いを見ないようにすることはできるけど、それはそれで大変。生きることに反するような気がするから。その問いにまっすぐ向き合ってこその自分の人生な気がしますね。

(中野)私たちは、ずっと震災の報道をやってきましたが、根本的には「生きる」と言うことの問いを投げかけて、投げ返されてをずっとやってきたような気がします。

その後の記事も「私はなぜここにいるのか」という問い。杉浦さんも13年ここにいるわけで、そういった方々が「私はなぜここにいて何をしているのか」ということはすなわち、「生きる」ということの回答になっているのではないかと。なぜその仕事や取り組みをしているのかと問うと、その挑戦をしなきゃいけないわけではない、意志を持って「する」っていう選択が必ずあるんです。

(杉浦)自分がどういう時間を使うのか、という全ての行為がそれですよね。そういうバランスをみんなでとっているのではないかと思います。

(中野)そうですよね。キャンドルの取り組みも、自分が生きるってことの問いを投げて、投げ返される瞬間を各自が持っているし、ひとりでやるより、みんなでやるほうがより広がりがあるというか。それにひかれて若者たちがどんどんやってくる。

(杉浦)僕自身も面白がってる感じですね。

「Light your life」あらゆる枠を超えた全ての命にともしびを

(杉浦)ゲストハウスもそうだけど、ともしびプロジェクトも、根っこにあるのは「Light your Life 〜すべての いのちに ともしびを〜」という考え方ですね。さきほどの宗教をこえた

命灯会」を始めた時に作ったキャッチコピーなんです。「すべての いのちに ともしびを」をオシャレに言ったものが「Light your life」なんじゃないかという。

(中野)それを前提として、「灯せてない命」があるということですか?

(杉浦)表現としては、灯ってないというか、亡くなった命も含めているんですよ。全ての命とは、生きているとか生きてないとかだけの概念ではなく。自分という個人としての命というものは、僕一人では生きていけないじゃないですか。

大きくいうと、草花があって、二酸化炭素を酸素に変えてという循環があって、そのなかに私という存在がある。大きな命とは、私個人の命を含め、全てのという意味で、生きている生きていないを超えた、人間とか人間じゃないも関係なく、あらゆる枠を超えた全ての命にともしびを灯せるような思いで物事に取り組むって言うことはできると思うので。

(中野)すべてのいのちにともしびを灯すような気持ちで生きる。

(杉浦)「Light your life」の言葉に込めた意味はそれで、それが根っこにあるんで。

例えば若い人たちが訪ねてきたら、僕ができる選択肢は、知らないしめんどくさいから帰って、ということじゃなくて「一旦話聞こうか」という選択肢になるというだけなんですよ。

灯し続けるのも、活動として続けていくことにつながっていく。そこからいろんな人たちがメッセージを受け取って、そこから活力にしていければいい。それはもしかしたら「ともしびが灯った」といえるかもしれない。

気仙沼の人と、ともしびの活動を行いたい

(中野)この先挑戦したいことはありますか。

(杉浦)ほんとに今年しみじみと思ったことがあります。僕らは今まで何をやってきたかというと、県外から色んな思いを集めるための活動に力をいれてきました。

僕は外からきたボランティアで、被災もしていないです。僕がともしびを続けていきましょうよ、と地元の人をどんどん誘っていくのは、それぞれ思いがあるから、まだなんじゃないかとずっと思い続けてきました。

12年干支が一周したのもあるし、13回忌が終わったこともあり、「地元の人にこれを使ってもらって、役に立ててもらえるんじゃないかな」と思ったんですよ。今日も地元の人で興味もってくれている方に、話をさせてもらったんですけど、今後ともしびの活動を地元の人たちともっとやりたい。

(中野)逆に12年経つまでそこまで踏み込めなかったのですか。

(杉浦)そうなんです。人によっていろいろじゃないですか。忘れたいと思っている人もおそらくいる。だから安易にそういうふうに言えないなと思っていて。

地元のみなさんどう思っているのかなということと、これをどう伝えていくかということは、なんとなく課題になっていくのかなとも思うし、気仙沼という土地としてのアイデンティティなんじゃないかなと思いました。

地震と津波がきて危ないからといってその土地から離れられるかといったらそうではない。

震災後に復興後のスローガンとして「海と生きる」を出したように、そこにアイデンティティがあって、その思いにひかれるものがやはりあると思うんです。震災を乗り越えて「灯す」という活動をみんなでやりたいと思いました。

震災の痛みを誰も知らなくなった時に、「灯す」ことの重要性が高まってくる

(中野)やっと13年かけて、そこが接続しそうな雰囲気と気配を感じたんですね。私が思うにこれが「復興」ということだと思う。建物を建て直したり、道路を作り直すのは頑張ればできる話だけど、人の心を次のステップまでもっていくには、そのくらいの時間もかかる。それをキッパリ捨ててしまおうではなくて、一緒に統合して次に行くことに踏み出せるようになってきたことが最近ということでしょうか。

(杉浦)被災した人たちから、海外に向けてのメッセージに力があるなと思います、もちろん応援するメッセージにも力があると思います、そこをつなげられたらなと思います。

仮に被災した経験をした人が誰もいなくなったとしても、子供たちがキャンドルをつくって灯り続ける、というような活動としてなにか残り続けることができれば100年でも200年経っても、そのときを振り返って、今生きることにつなげられる気がします。

(中野)「忘れない」という形が、具体的な被災から、よりその深い記憶に転換されていく。今後経験していない子がたくさん生まれてくるし、震災を経験した人は、当然ながらどんどんいなくなってしまう。そうすると誰も震災を経験していない状態になる。

(杉浦)それでなくなっていいのかという時に、改めてこのともしびプロジェクトの「灯す」という行為の重要性が高まってくる。宗教に後押しされた部分がありますね。参考になります。1000年超えて灯し続けている宗教は本当にすごいと思います。

(中野)津波の記憶をいかに伝えていくかということも大事なことですが、いつか恐怖や痛みは消えてしまう。それよりも大切だっていうものが大事ですね。

(杉浦)時代が変わっても人が人間である以上、そういうのが大事なんじゃないかと思います。

(中野)ともしびプロジェクトとは、人が人間であるということを見つめ直して記憶していくというプロジェクトなんじゃないかと思います。

坂本友実

坂本友実

静岡県富士宮市

編集部記者

「生き物の精密模型」という非常に限定的な市場で、ニッチな商品を届け方を追求した経験から、いいものなのにマイナーすぎて売れない、伝えるべき人に伝えられなくて歯痒い、という問題を解決したく、媒体にぴったりなアプローチによって「伝えたい想い」を「届けるべき人」に届け、機会損失をなくしていきたいです。

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