大正時代に50日で27万人が訪れ、24年で衰退したJR高野口駅に現在も残る面影

JR高野口駅は和歌山県橋本市にあり、和歌山県北部を東西に結ぶJR和歌山線の駅である。現在は物静かな駅となっているが、今から約100年前の大正4年(1915年)には、驚くことに50日間で27万人もの人々が訪れた。それも束の間、開業からわずか24年で高野口駅の利用客は激減してしまう。令和時代の現在、その高野口駅周辺で栄えていた当時の面影を追う。

<高野山への玄関口として栄えた駅>

JR高野口駅はその名の通り、世界遺産である和歌山県北部の高野山まで歩いて参拝する人々の玄関口として栄えた駅である。現在は自動改札機も無く、かつてあった売店も撤去されてしまうような物静かな駅となっているが、驚くことに約100年前の大正4年(1915年)に50日間で27万人、1日平均にすると5,400人もの人々が訪れる駅であった。

これ程までに利用客が訪れたのは、この年が高野山の開創1100年にあたる年であったためである。この年だけでなく高野口駅が開業した明治34年(1901年)から大正時代までは、高野口駅は高野山への参拝客で賑わい、駅周辺には参拝者を出迎える旅館が、最も多い時で19軒も営業していた。

<開業から24年での衰退>

高野口駅が高野山の参拝客で賑わっていたのも束の間、駅が開業してわずか24年後の大正14年(1925年)頃から、高野口駅の利用客は激減してしまう。その理由は、高野山により近い場所に、現在の南海電鉄高野下駅が開業したためである。高野山への参拝客の多くが高野口駅を利用しなくなったことによって、駅周辺の賑わいは失われてしまった。

高野口駅から高野山へ歩いて向かうために利用されていた旅館は次々と廃業してしまい、悲しいことに現在では、当時営業していた旅館は全て廃業してしまった。

<現在も残る当時の駅の面影>

現在も、高野口駅を訪れると利用客で栄えていた明治時代から大正時代の面影が数多く感じられる。白い木造の駅舎は、明治時代に建てられたものであり、現在もそのまま使用されている。また、現在では持て余してしまう程に広い待合室を通り抜け、駅のプラットホームに出ると、ホーム全体が不自然なスロープとなっている。これは電車の乗降口に近い場所が現在の電車に合わせて高くなったためであり、乗降口から遠い場所は当時の高さのまま残されている。

他にも、王寺方面に向かうホームには当時作られたベンチが現在も利用されていたり、和歌山方面に向かうホームには当時の陸橋の柱が残されていたりする等、随所に明治時代から大正時代の面影を見ることができる。

<当時の佇まいのまま現存する葛城館>

高野口駅の駅前には、趣のある佇まいの3階建ての木造建築物がある。これは「葛城館」という明治時代終わりから大正時代初期に建てられた旅館であった建物で、まさに高野口駅が栄えていた時代の建物である。葛城館は国の登録有形文化財で、100年以上経っているとは思えない程立派に作られており、当時高野口駅周辺がいかに栄えていたのかが伝わってくる。

旅館業は平成初期まで営まれていたが廃業してしまい、現在はお茶会や人形展等のイベントのために貸し出され、利用されている。葛城館の中に足を踏み入れると、時代を感じさせる木製の階段や波打っている窓ガラス等、当時の雰囲気が至る所から感じられ、初めて訪れているにも関わらず懐かしい気持ちになる。願わくば一度宿泊してみたかったと思わされる、そんな魅力的な場所である。

田中 和広 さんの投稿)

和歌山ローカル情報発信Lab.

「和歌山ローカル情報発信Lab.」は、和歌山県が2019年度から始めた「移住者情報発信力強化プロジェクト」事業。合同会社イーストタイムズのメンバーが講師となって、指導・フォローアップ。運営事務局も務める。県内にU・I ターンした移住者が、情報発信のスキルを身につけながら、住民しか知らない「わかやま暮らし」の魅力の可視化と発信を行って県内外の和歌山ファンを創出し、関係人口増や移住定住につなげる取り組み。