名古屋の街の和菓子屋がつくる和菓子の未来【愛知県名古屋市】

2 min 181 views

〜この記事は、株式会社JTBふるさと開発事業部と合同会社イーストタイムズが共同で取り組んでいる「ローカル魅力発掘発信プロジェクト」から生まれたハツレポです〜

名古屋の街の和菓子屋がつくる和菓子の未来

尾張徳川家お膝元の名古屋では、江戸時代に始まった茶の湯の流行とともに、お茶請けの和菓子作りも盛んになりました。名古屋には今も多くの和菓子店が存在し、地域独自の和菓子文化を継承しています。

1949年創業の「亀屋芳広(かめやよしひろ)」は、熱田神宮(あつたじんぐう)の門前町である名古屋市熱田区伝馬(てんま)町に本店を構え、名古屋市内と近郊に17店舗を展開する、県内では名の知れた老舗和菓子店です。

今回は、3代目の花井芳太朗(はない・よしたろう)代表取締役社長に亀屋芳広の和菓子や地域に対する想いを伺いました。地域の和菓子屋として地元に愛される背景や和菓子の可能性がみえてきました。

 「地域の人々のすぐそばにある和菓子屋に」

花井さんは「名古屋で一番を目指したい」と話します。創業以来のモットーは、地域の和菓子屋として地元の人に愛されるお菓子を作ること。あくまで県内での路面店経営にこだわり、百貨店や駅ナカには出店せず、地域の和菓子屋として地域の人に喜ばれるお菓子作りを続けてきました。

名古屋の史跡をモチーフにした尾張銘菓もその一つ。「地元のお客様にもお土産で持ち帰ったお客様にも、尾張銘菓を通して名古屋の歴史や文化を知っていただき、実際に名古屋に足を運ぶきっかけとなってほしい」と花井さん。

※尾張名古屋の史跡を和菓子で表現した亀屋芳広の人気シリーズ『尾張銘菓』

「和菓子づくりは、人づくり、まちづくりと共鳴している」

亀屋芳広では、大人も子どもも楽しめる和菓子作り教室の開催や、自宅で和菓子作りを体験できる「アニマル上生菓子作りキット」を開発。この先も和菓子屋があり続けるために、和菓子に親しみ食べてくれる人を増やす普及活動に力を入れています。

また、普段はお客様の前に出ない和菓子職人がお客様と交流し職人技を披露する機会や、週末限定商品として職人自身が作りたいお菓子を自由に作りお客様に販売する機会も設けています。

「お菓子は和み、安らぎ、潤いを与えるもの。いただいた方もお菓子を通して笑顔になれるし、作り手も嬉しくなる。食べた後にまた来店していただけたら街の活性化にもなります。街の和菓子屋が志を持ってお菓子を作ることで、地域店にしか出せない味や菓銘、地域の物語を演出できます」と花井さん。

「和菓子の可能性を最大化したい」

※花井芳太朗社長(写真中央)

花井さんは学生時代にアメリカ留学し、海外目線から和菓子の可能性を強く感じました。「和菓子は繊細で色目も考えられていて、わびさび、菓銘へのこだわりなど、海外にはない五感的な要素が多く、そこに可能性を感じました」と話します。

海外での実演販売や和菓子教室の実施、英語版和菓子作りキットの開発を行うほか、フランス料理学校で和菓子作りの講師を務めるなど、和菓子の魅力を海外に伝える活動にも積極的です。花井さんの「地域での活動は海外にも通用する」という考えのもと、できるだけ地元食材を使用し、亀屋芳広ならではの職人技で、名古屋でしか買えないお菓子を作ることで、地域をはじめ海外のお客様にも喜んでいただける和菓子屋を目指します。

※海外で和菓子の魅力を伝える活動のようす

「和菓子は動物性の材料を使わないヴィーガンの面でも時代にマッチしていて、今はインターネットもあり、和菓子が海外にさらに認知される舞台は整いつつあると思う。現状よりちょっと背伸びしたことをやり続けたい」と花井さんは語ってくれました。名古屋の街の和菓子屋、亀屋芳広は和菓子の未来を見据えて挑戦を続けています。

佐下橋容代

佐下橋容代

東京都荒川区

第6期ハツレポーター

生まれも育ちも下町、荒川区。実家は書道教室。在学中から博物館、企業財団で学芸員職を経験し、結婚を期に退職。専門は真珠産業など日本の宝飾史。現在は子育てをしながら書道教室広報の他、フリーランスで伝統文化ワークショップを開催。将来的には夫婦で収集研究する荒川区出身画家の私設ギャラリーを区内に開くのが夢。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です