女人禁制、4年ぶりの「御燈祭り」に密着!白装束に荒縄を胴に巻いた男達、「頼むで〜」の掛け声の意味は?【和歌山県新宮市】

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熊野地方に春の訪れを告げる「御燈(おとう)祭り」が2月6日に開催された。場所は、和歌山県新宮市にある熊野速玉大社と関係の深い神様を祀っている摂社(せっしゃ)である神倉神社。神倉神社の御神体は神倉山の山頂にある「ゴトビキ岩」。そこに行くまでには538段の急な石段を登らないといけない。昼間でも足がすくむほどの石段だ。御燈祭りはこの急な石段を、辺りが暗くなった夜、火のついた松明(たいまつ)を持って男達が駆け降りる女人禁制の祭りだ。

「お燈祭りは助け合いの祭り」と筆者の夫は言ったことがある。今回、その祭りをこよなく愛し、「まだか、まだか」と4年間待ち続けた筆者の夫に密着取材してみた。

祭りの準備は1週間ほど前から。必要な物は白装束、松明(たいまつ)、草鞋(ぞうり)、胴にまく縄、足袋(たび)。

装束は何度も水洗いをし、油分を落としておく。そうしないと松明の火でこげ、火傷をするらしい。厳密に祭りの儀式に乗っ取るなら1週間前から白い物しか食べない、女性と会話してはいけない、女性に触れてはいけないなどあるそうだ。

祭り当日、朝から白い物を食べる。全国各地から上りたい友人が来るので、この日は特別にゲストハウスを一棟借りしている。

この日は「新宮」という街の空気がいつもと違う。街には女性の姿しか見かけない。静かで車の数も少ない。

午後2時頃、ゲストハウスにはあちこちから男達が集まり始める。酒や白い食べ物の差し入れなどが続々と宿に並べられる。

装束を着る者、酒を飲む者、松明に願いを書く者、それぞれ祭りに向けて気合いが入り始める。胴に巻く縄は1人では結べないので、声をかけて結べる人にお願いをしないといけない。

午後4時ごろ、市内あちこちで白装束姿の男達が歩く姿が見え始める。上り子には街のあちこちで甘酒などが振る舞われている。

神倉神社に行く前には市内にある「阿須賀(あすか)神社」「熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)」「妙心寺(みょうしんじ)」に参る。

街のあちこちで大人も子どもも「頼むでー」の掛け声が響き渡っている。すれ違いざま「頼むでー」と言いながらお互いの松明を打ち鳴らしているのだ。

こうしながら大勢の男達が神倉山に集まり、山頂のゴトビキ岩周辺で大松明の御神火を待つ。午後8時前、御神火が上り子たちの松明に行き渡り、山門が開かれると先頭の男達は一斉に駆け降り祭りはクライマックスを迎える。

かなりの急段なので、「本当にあの石段を松明を持って駆け降りるの?」とよく聞かれる。駆け降りるのは先頭の何人かで、大半は歩きながらゆっくり降りるそうだ。

昔、お燈祭りの火「神の火」を家のかまどの火種にするため「火が消えないうちに早く!」と駆け降りていたようだ。女性はその火を家に居て待つ。かまどにくべた神の火で煮炊きをし家族の健康や安全を護るという話を聞いた。

夫の言葉を借りると、女人禁制は「女性差別」でなく「女性に対する思いやり」。祭りの時は女性はゆっくりしてください、準備も何もかも男がしますから。

縄を結ぶのも助け合う、子どもが上るのも怪我をしないよう助け合う。寒い神倉山の山頂での寒さもみんなで凌(しの)ぐ。

「頼むで〜」の掛け声の意味は、家を守る女性への思いやり。そんな話を聞き、1400年も昔から続く祭りに男のロマンと優しさを感じた。見ず知らずの人が集まり、祭りが終わる頃には「また来年も一緒に!」「来年が待ち遠しい」と話す。そんな男達が羨ましく思えた。

もとだてかづこ

もとだてかづこ

和歌山県那智勝浦町

第2期ハツレポーター

生まれも育ちも和歌山県那智勝浦町。紀伊半島南部唯一の助産院を開いています。たま〜に分娩介助、日頃は赤ちゃんやママへの子育て支援を中心に活動しています。海と山に囲まれた那智勝浦町が大好きです!そんな大好きな町の魅力を発信していきたいです。

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