「母が幸せなら子どもも幸せ」。届かなかった声なき声を拾う「コトノハメディア」【埼玉県熊谷市】

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社会の隙間にこぼれ落ちている当事者の声をすくい上げたい。

性被害やDV、社会的養護、包括的性教育など、当事者の思いに光を当てる「コトノハメディア」を運営する取材ライターのシェリーさん。その原点には、畜産業界での経験や新聞記者時代に感じた「届けられない声」へのもどかしさがありました。 

「母が幸せなら、子どもも幸せ」。この言葉を軸に取材を続ける彼女の原点には、今までに感じてきた女性の生きづらさ、そして幼い頃からの母との関係が影響しています。

今回はシェリーさんに、新聞記者としての過去や、メディア設立に至るまでの道のりを伺いました。

「好き」で飛び込んだ世界で見た、女性の働きづらさ

シェリーさんは高校卒業後、畜産の世界に飛び込みました。今とは全く違う世界です。きっかけは、シンプルに動物が好きだったから。

「単純に、動物が好きだったんです。私が通っていた高校には馬術部がありました。幼少期に母とよく図書館に通っていて、その道すがら馬術部の横を通っていたんです。その頃から馬が可愛いなと見ていて、馬術部に興味があり農業高校に入りました。高校で学ぶ中で農業の道にひかれていったんですよね」

農業の魅力に気づいていくうちに、「将来は農家に嫁ぎたい」と思うほどのめり込んでいきました。そして、なんの迷いもなく就職先に畜産の道を選びました。

働き始めてから直面したのは、女性の働きづらさだったといいます。

彼女は女性が妊娠や結婚によって歩みたい道を手放さざるを得ない現実を、高校時代にも目の当たりにしてきました。

「結婚とか妊娠ってその頃はまだ身近ではありませんでした。でも、高校3年生になる直前に親友が妊娠したんです。その親友は妊娠をきっかけに、高校を中退しました。妊娠や出産で、夢を諦めなければいけない現実を、身近な出来事として感じるようになりました」

働き始めてからも、理不尽な理由で男性社員からパワハラに近い、心無い言葉をかけられることもあったといいます。また、女性社員が妊娠すると、時短勤務ではなく退職という流れになっていく様子も見てきました。

「続けたい本人の意思はあるんですよね。元気で働ける状態なのに、妊娠すると退職する空気になる。『なんだかおかしいな』と当時強く感じていました」

高校時代や社会に出てからの経験は、彼女に「女性だから諦めなければいけない世界」の理不尽さを痛感させました。

ニュージーランドで知った、日本にはなかった当たり前 

そんな日々の中で、日本と海外との違いに触れる機会が訪れます。高校時代、東日本大震災やニュージーランドでの地震により、ニュージーランドでのファームステイ研修に行く夢が叶わなかったシェリーさん。

当時は落ち込みましたが、先生からの励ましの言葉もあり、社会人になったら必ずニュージーランドに行こうと決心しました。

社会人として約2年働き、仕事を辞めてニュージーランドへ渡航。そこで目にした光景は、日本との違いを強く実感させるものだったといいます。

「ニュージーランドは、世界で最初に女性参政権が認められた国なんです。また、2017年に37歳で首相になった女性がいました。妊娠中もお腹が大きい状態で公務を続けて、出産後は産休をきちんと取得。パートナーの男性が育児を支えていて、復帰後には生後3か月の赤ちゃんを連れて国連総会に出席したこともあったそうです。日本ではなかなか考えられない光景でした」

外に出たことでより一層、日本は女性が生きづらい環境だと感じ、その思いは彼女の中に根付いていきました。

取材で見つけた、本当に届けたいもの 

ニュージーランドから帰国後、シェリーさんが選んだのは地方新聞社への就職でした。読書好きの母の影響で幼い頃から本に親しみ、犯罪心理やドキュメンタリーに関心を持ってきたといいます。

報道の現場で働きたいと思っていましたが、配属されたのは、飲食店や観光施設、夢に向かって頑張る人を取材する、いわゆる「平和な記事」を担当する部署でした。

「新聞記者時代は、地域で頑張っている方や夢に向かう方を取材する記事がほとんどでした。それはそれでとても楽しかったです。でも取材の中で、その人の生い立ちや抱えている複雑な思いに興味があっても、特集のテーマが決まっているので、記事に入れない選択をするしかなかったんですよね。もどかしさを感じることが多かったです」

その思いを決定的にしたのが、ある女性への取材でした。地域で有名な女性に、約10年ぶりに取材する企画で、その方が7、8年にわたって不妊治療を続けてきたことが見えてきました。

「周りが次々と赤ちゃんを産んでいく中で、誰にも言えなくなっていく辛さや焦りがあったと話してくれました。良かれと思って『赤ちゃんを抱っこしていいよ』と勧められることが、実はその方の心をとても深く傷つける行為だったと。10年経っても忘れられない正直な思いを聞いたんです。これは世の中に届けたい声だと強く感じました。でも企画の趣旨が違ったので、そのリアルな部分は記事にできませんでした」

同じ立場の人が「自分だけじゃない」と共感し救われる。こういう声を届けていきたい、と明確に思ったシェリーさんはある決意をしたといいます。

週刊誌への挑戦で気づいた、進むべき道

その後、新聞社を1年で退職しフリーライターの道に進みます。しかし、フリーライターになってもメディアの意向を無視できない現実にぶつかりました。そんなとき、声なき声を届ける手段として大手週刊誌への再就職を考えます。面接を受けた際に聞かされたのは、想像とは異なる現実でした。

「入って3年、下手したら5年は自分の記事が書けなくて、編集長のための材料集めが仕事だと言われました。また、男性の先輩と車中泊で張り込みができるか、政治家に突撃取材してひどいことを言われてもメンタルが持つか、などと聞かれて。女性が働くには厳しい仕事だと感じる説明を受けました。話をする中で、自分がやりたいこととは違うなと感じたんです」

やりたいことはかなわないと肩を落としたといいます。しかし、ここで一つの思いが生まれました。

「私がやりたいのは、声なき声を届けること。だったら、自分でメディアを作ろうと思ったんです」

自分と向き合う中でたどり着いた答え 

30歳を迎える頃、自分自身と改めて向き合ったシェリーさん。物心ついた頃から、家庭の中で心穏やかに過ごせなかった思いの背景を振り返ったそうです。

「今思えば誰もが経験する小さな不満だったと思います。でも当時は子どもだったので、母の厳しさをうまく受け止められずに悩んでいました」

そうした中で一時期、両親の関係が悪くなり、子どもながらに「離婚するかもしれない」と思ったといいます。

「親がけんかをせず、仲良く過ごしていたら、子どもはきっと幸せなんですよね。それを身をもって知った経験でした」

長年母への複雑な思いを抱えていたシェリーさん。大人になってから母自身も、懸命に家庭を支えてきた1人の女性だったことに気づきます。 

「母が幸せなら子どもも幸せ」。この思いが自身のメディアを立ち上げる原点となり、軸となっていきました。フェミニズムではなく、シンプルな実感から来ていると彼女は話します。

「マタニティマークをつけて電車に乗りづらかったり、不妊治療に莫大(ばくだい)なお金がかかったり。日本の女性は、なんだか生きにくそうだなと感じることが多いんです。お母さんや女性が幸せだと感じられる世の中になれば、日本はもっと良くなると思っています」

「性教育に対しても、避妊や感染症予防だけでなく、『自分を大切にすること』を根っこに据えた教育が広まれば、悲しい事件も減らせ、子どもたちの自己肯定感も上がりますよね。そういう考え方があるんだよと伝えたいです」

もう一つ、コトノハメディアが児童養護施設や社会的養護をテーマに取り上げる背景には、高校時代の児童養護施設出身の友人の存在も大きく影響しています。

「当時、施設で暮らす子どもは、外泊するにも実の親のハンコと園長先生の許可が必要でした。学校生活と同じで自由が少ない。『シングルマザーでもシングルファザーでも、親と一緒にいられるだけですごいことなのに、なんでみんなそれが分からないの』と、その友人がよく話していたのを覚えています」

まずは、事実を知ることが何より大切。知ることで人や出来事への見方が変わり、悩みを抱える人への接し方や声のかけ方も変わっていくと、シェリーさんは感じているそうです。

だからこそ、コトノハメディアでは「知るきっかけ」を届けることを大切にしていると話してくれました。

言葉は人を救う。だからこそ、取材は誰よりも丁寧に 

コトノハメディアが徹底しているのは、嘘を書かないことと取材相手を尊重すること。DVや性被害の取材では、具体的にどのような被害を受けたのかまで踏み込んで聞くこともあるといいます。

「事実を伝えることは徹底しています。言葉は人を救うこともあれば、凶器にもなり得る。だからこそ、質問の仕方にはとても気を配っています」

取材相手の心の傷に触れる可能性がある分、事前準備には特に力を入れているそうです。

「以前は事前の打ち合わせはテキストのみでしたが、今は15分ほどオンラインで顔合わせをして、当日聞く内容や取材の目的を丁寧にお伝えするようにしています。記事の公開前は修正を無制限で受け付けていて、双方が納得できる形を目指しています」

こうした事前準備を重ねるようになってから、大幅な修正を求められることは少なくなったといいます。

丁寧な取材を重ねる中で、取材を受けた本人や読者から届く反響も、シェリーさんの支えになっています。

「取材を受けてくれた方から、公開後に『あのとき、頑張ったねと自分に言ってあげたい』とメッセージをいただいたことがあります。渦中にいるときは気づけなかった自分の頑張りが、記事という形になって見えたことで、救われたとおっしゃっていました」

読者からも、自身の考え方を見つめ直すきっかけになったと声が届くそうです。

「記事を公開するたびにDMをいただくことが多くて、自分のやっていることが届いている実感があります。そして、続けていくべき活動だと思える力になっています」

「つながる」を生み出すメディアでありたい 

コトノハメディアが掲げるテーマは「つながる」こと。当事者同士、そして社会とのつながりを生み出すことを目指しているといいます。

「孤独になってしまうと、どこまでも闇に行ってしまうと思うんです。少しでもすくい上げる手や声があるだけで、安心につながる。必要としている人同士がつながったり、当事者の方の存在を知ってもらったりする連鎖が生まれたらうれしいです。それが私にとっての、やりがいという収入なんだと思っています」

死ぬまでこのメディアは続けたいと話すシェリーさん。彼女のメディアへの熱い思いが現れている言葉が印象的でした。

「このメディアでは取材相手からお金は一切いただきません。取材に応じていただけるだけで『ありがとう』の気持ちです」

※写真は全てご本人提供写真

【コトノハメディア】https://kotonohamedia.com/

シェリー氏紹介文:地方新聞社の新聞記者として現場取材を経験後、フリーライターとして独立。企業や官公庁、元芸能人、社会課題など、様々なジャンルの取材記事を執筆。「女性が、自分らしく、長く続けられる仕事を」という思いを持ち、声なき声を届ける「コトノハメディア」も運営している。現在は、夢だった沖縄への移住に向けて準備中だ。

森田かえ

森田かえ

愛知県出身。夫の転勤で横浜に住んで7年目。地方から見ると大都会な横浜でリスを発見し驚きました!聞いてみないと分からない情報をたくさん見つけていきたいです。環境問題にも興味があるので、そういう発信もしていきたいと取材ライターとして活動中。

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